のよ、とだけ言い残し、家のほうへ向かって歩いていった。
一枚も葉の付いていない街路樹が、乾いた音を立てて揺れている。バスを待つ人の列と、タクシーを待つ人の列が、今日は心なしか短く見える。その横を通って、僕はあの場所へと足を運んでいく。駅ビルの片隅の屋根になっている場所。
僕は自分でもなぜか分からないが、いつかの女性ストリートミュージシャンがあの場所で歌っているような気がしてならなかった。あの場所に行けば何かが変わるかもしれない。あの場所に行けば、僕の探している答えが見つかるかもしれない。僕は何の根拠もなく、ただあの歌を、そして彼女の姿を追いかけた。しかし、そこにはあのストリートミュージシャンの姿はなく、誰もいない空っぽの路地だけが、ショウウィンドウの灯りに照らされていた。
(オレ、何をしているんだろう。こんなトコに来たからって何かが変わるわけがないじゃないか)
家路へと急ぐ人の流れに身体を委ねるかのように、僕は家へと足を進めていく。思えば、今までずっと、大人達の言う『人と人との調和や融和』などという、バカバカしいほどバランスよく整備された流れの中で、自分という人間の存在意義を探し続けてきた。人と同じように生きていくということは、自分を捨てることだと思っていた。用意された靴で、用意された歩幅で、用意された道を歩くということは、自分をやめることだと思っていた。自分らしく生きるということは、何事にも左右されない自分を固持することだと思っていた。結局、自由とか、権利とか、そういった言葉の裏側にある責任とか、あるいは思いやりが、呆れるほど欠落していて、僕はそれらの可能性を単純に美化したり、自分の都合の悪いことは排除したりして、勝手に正当化してきただけなのだということに、空しさと情けなさを覚えた。