「Liquid SunriseB-3」

のよ、とだけ言い残し、家のほうへ向かって歩いていった。
一枚も葉の付いていない街路樹が、乾いた音を立てて揺れている。バスを待つ人の列と、タクシーを待つ人の列が、今日は心なしか短く見える。その横を通って、僕はあの場所へと足を運んでいく。駅ビルの片隅の屋根になっている場所。
僕は自分でもなぜか分からないが、いつかの女性ストリートミュージシャンがあの場所で歌っているような気がしてならなかった。あの場所に行けば何かが変わるかもしれない。あの場所に行けば、僕の探している答えが見つかるかもしれない。僕は何の根拠もなく、ただあの歌を、そして彼女の姿を追いかけた。しかし、そこにはあのストリートミュージシャンの姿はなく、誰もいない空っぽの路地だけが、ショウウィンドウの灯りに照らされていた。
(オレ、何をしているんだろう。こんなトコに来たからって何かが変わるわけがないじゃないか)
家路へと急ぐ人の流れに身体を委ねるかのように、僕は家へと足を進めていく。思えば、今までずっと、大人達の言う『人と人との調和や融和』などという、バカバカしいほどバランスよく整備された流れの中で、自分という人間の存在意義を探し続けてきた。人と同じように生きていくということは、自分を捨てることだと思っていた。用意された靴で、用意された歩幅で、用意された道を歩くということは、自分をやめることだと思っていた。自分らしく生きるということは、何事にも左右されない自分を固持することだと思っていた。結局、自由とか、権利とか、そういった言葉の裏側にある責任とか、あるいは思いやりが、呆れるほど欠落していて、僕はそれらの可能性を単純に美化したり、自分の都合の悪いことは排除したりして、勝手に正当化してきただけなのだということに、空しさと情けなさを覚えた。

  家に着き、制服を着替えた僕は、当たり前のように差し出された夕食を、やはり当たり前のように腹の中に収めていく。先に食事を終えた父と弟は、リビングでつまらなそうにテレビを見始め、母は、そんな父と弟が残していった食器やグラス類をせっせと片付ける。それは、我が家に転がっているいつも通りの光景。いつも通りの日常。いつもと違うのは、僕がもう学校に通わなくなったということだけ。ありふれた日常生活の中にいると、自分の頭の中を駆け巡る不安が不思議なくらい和らいでいく。茜のことも、コッペや宇治やんのことも、この瞬間だけは何も苦しくは感じない。寂しさも、後悔も、苛立ちも、何

 

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