人として聴いていないのに、ひたすら歌い続けていた。何故だろう。僕はその場に立ち尽くし、家路へと急ぐ人達の喧騒に飲み込まれそうなその女性の歌に吸い込まれていった。
「そこの君、こっちへおいでよ」
その女性ストリートミュージシャンは数曲歌った後、七、八メートルくらい離れた所でその歌を聴いていた僕に向かって話しかけてきた。
「せっかく聴いてくれるんなら堂々と目の前で聴いてくれよ。学生から金なんて取ったりはしないからさ」
彼女はそう言って、また歌いだした。力強く、それでいてどこか切なく心に問いかけてくる歌だった。
“どうかあたしをそっとしておいて あなたに泣きついたりはしないから”
“どうかあたしをそのままにしておいて それだけがあたしの望みだから”
「何だか悲しい歌ですね。なんていう曲なんですか?」
「なんだっけね。タイトルなんて忘れちゃったよ」
「あの、こんな所で歌っていて寒くないですか?」
「歌うってのはさ、そんなモノなのよ。所詮、自己満足でしかないのかもしれないわね。でも、だからこそ止めるわけにはいかないのよ。寒くても、苦しくても、恐ろしくてもね。自分が何かを選択するっていうことは、時には苦しみさえも味方に変えるくらいでなくちゃならないことがあるものなのよ。そう。挫折や出口のない苛立ちなんかに負けないために」
僕には、彼女の言っている言葉の意味が分からなかった。自分が好きで歌っているのだろう。自分が歌いたいから歌っているのだろう。彼女の言葉からは、そういった『思い』とは全く異なった何かが滲み出ていた。しかし僕にはそれが、茜の語る『夢』と通ずるもののように思えて仕方がなかった。そして、『夢』を叶えるということがそれほどまでに苦悩や挫折、そして出口のない苛立ちを要するものなのだとしたら、僕には到底不可能な頂に思えた。
「僕にはよく分からないです」
彼女は決して押し付けがましくはない口調で少し微笑みながら言った。